「私には 夢がある。」
原田郁子インタビュー

大切なものを耕し、育てていく。
変化や驚きを楽しみながら

リクルートスタッフィングが実施した「私には夢がある」キャンペーンで、THE BLUE HEARTSの『夢』をカバーした原田郁子さん。クラムボンとしての活動は25年を迎え、ソロでの活動も続けている。原田さんと縁の深い場所、吉祥寺のカフェ&イベントスペース「キチム」で、これまでの変化と最近の心の内をうかがった。

ファンの方達とのダイレクトなやりとりが、バンドの活力に

キャンペーンのコンセプトムービーで「俺には夢がある……」と歌った原田さん、オファーを受けたときには、「俺」という一人称に戸惑ったのだそう。

「『俺かぁ。歌うのは、本当に私でいいのかな……』と正直不安でした。説得力がないんじゃないかと。念の為『“俺”を“私”に変えたりは、できないですよね?』とうかがってみたのですが『ぜひこのままでいきたいです!』という強い想いをいただいて。映像監督さん、スタッフの皆さんとは打ち合わせを何度も重ねて、丁寧に作っていくことができました」

原田さんは、クラムボンとしてメジャーレーベルを離れ独立してから5年になる。5年前とは、バンド結成からちょうど20年。大きな区切りとして、自分たちに合った活動をしていきたいと思ったのだという。

「これまでいろんな経験をさせてもらってきましたが、この20年というと、音楽の聴き方、楽しみ方、つくる現場も、発信するツールも、劇的に変わりました。そういう時代の流れも含めて、今なら、時間とお金をコントロールしながら自分たちのやり方で活動できるんじゃないかという、メンバーのミトくんの発案がきっかけです。クラムボンの音楽を愛してくださる皆さんと、もっと近く、直接的に繋がれるようなこと、ワクワクするようなことをやっていこうと。『岩井俊二監督×クラムボン』でのクラウドファンディングや、流通を通さずツアー会場で販売する方法、ジャンルを問わずCDの販売店を募集したことも、新しい一歩でした」

そこで一番変わったのは、ファンとの距離感だった。

「独立してからの手売りツアーでは、サイン会もしました。短い時間ではあるけれど、お一人ずつ顔を見て、言葉を交わすんです。ただ黙って頷くだけでもいいし、そっと手紙をいただくこともあります。親子でいらっしゃる方、お腹が大きい方、『結婚式に曲を使わせてもらいました』『クラムボンのライブがきっかけで結婚しました』という方もいらした。ご家族で描いてきてくれたメンバーの似顔絵があんまり良かったので、ジャケットに使わせてもらったり。ファンの方達とのダイレクトなやりとりが、バンドの活力になるし、ものすごく励みになります」

今回のキャンペーンでは、参加者のなかから抽選で少人数限定のコンサートも行った。子ども連れにも気を配りながら和気あいあいと進む場の空気からも、原田さんのファンを大切にする想いが伝わってきた。

耕されて育っていく。
変わるものと変わらないもの

インタビューをさせてもらった「キチム」は、カフェでもあり、イベントスペースでもある。原田さんの妹がオーナーを務めるこの場所に、原田さん自身、特別な思い入れがある。

「2010年の立ち上げからずっと、外から内まで関わっています。“場所”って面白いですよね。いい場所というのは、一日二日でできるものではなくて、時間がかかるものだし、いろいろな方に使ってもらって、耕されて育っていくんですね。キチムができて今年で10年になりますが、お客さんも含めて本当にたくさんの方がここにやってきてくれて、少しずつ変化しながら、いい感じになってきていると思います」

決して大きくはないスペース。生の声でも届くほどの広さで、温かな人と場所のつながりを肌で感じながら、同時に見守ってもきた。

「経営のことは妹が日々頑張っていて、私は横で一緒に考える相談役のような感じかもしれません。何か問題が起きたときも、妹と話します。今は、予定していたライブが次々キャンセル、延期になってしまって、ここに限らず、皆さんがそれぞれに直面している問題だと思うのですが、先が見えない状況ですよね。でもまた思いっきりライブを楽しめる時期が来たら、面白いことをやりたい。キチムに人が集まったときの『寄りあい』みたいな雰囲気、距離感が好きなんです」

変化していないようなスペースも、少しずつ変わっていく。原田さん自身も、ここ数年で変わってきたことがある。

「数年前にステージ上で過呼吸になって、声が出なくなってしまったことがあったんです。これまで自己流でやってきていたので、一から立て直さないとダメだなぁと思って。そんな時期に良い先生に巡り合って、ボイストレーニングを始めました。自分のこれまでの癖を見直したり、手放したり」

原田さんの声や歌い方には、聴けばすぐにわかるほどの唯一無二の特徴がある。そのアイデンティティともいえるものをいったん手放すことに、恐れはなかったのだろうか。

「うーん。またあの状況になるのだけは、いやだったので…。実はその後ツアー初日で扁桃炎になってしまったことがあって、そのときもかなり酷い状態だったのですが、先生が居てくれたことは心強かったですね。喉に負担をかけない歌い方を少しずつ見つけていきました」

不安定な状況を抜け出し、今は小さなことに影響を受けすぎず、安定して歌うことができるようになった。声にも芯が出てきたと感じているという。

40歳を過ぎても冒険のような
ドキドキを

環境や歌い方が変わっても、原田さんにとって頭の中に「!」が生まれるような心がけや考え方は、この先もずっと変わらない。

「歳を重ねて、経験値が増えていっても、『あぁ、これね〜』って知った気にならず、ひとつひとつのことに驚いたり、喜んだり、感動したりしたい。最近実は、ときどき、車の運転をするんです。めちゃくちゃ緊張するんですけど、楽しいです」

40歳になってから、取り損ねていた免許を取りに教習所へ通った。最初は直線の道から恐る恐る始め、最近ようやく車線変更ができるようになった。

「走っていると、『世の中の人たちはルールを守って、こんなすごいことしてたんだ!すごい!』ってなるんですが、自分を過信しないためにもいい勉強だと思っています。まだまだおっかなびっくりなんですが、毎回冒険みたいな気分で。今はとにかく、早くビビらないで乗れるようになりたい(笑)」

よちよち歩きのような運転を、日々の「冒険」と称して楽しむ。そんな日常の「!」が原田さんらしさなのかもしれない。

「新しくチャレンジしたいことは細かくたくさんあります。音楽以外で言うと、例えば英語とか、スペイン語とか、喋れたらものすごく楽しいだろうなぁ。そう思って、本を買ってみたり、オンラインツールを覗いてみたり、何度かトライしてみるも、なかなか本格的に始められずに来ちゃったんですけど…(笑)」

縄跳びと、美味しいカレー

ツアーでたくさんの場所を回る際、それぞれの会場で毎回リハーサルをする。移動が続くため、健康グッズが置いてあり、空き時間にメンバーもスタッフも愛用しているのだそう。そんななか、導入されたのが縄跳びだった。

「久しぶりにやってみたら懐かしくて。キツいんですけどスッキリするので、近所のオモチャ屋で買ってみました。今は2、3日に1回くらい、人目につかないように飛んでいます(笑)」

もうひとつのお気に入りは、インタビューに使わせていただいた「キチム」と場所をシェアしてお店を出しているpiwang(ピワン)の二種盛りカレー。見た目がとても艶やか。

「ピワンは、ハモニカ横丁で5席しかないお店だったのですが、今年の2月から共同シェアとしてキチムに移転してきてくれました。見た目も美しいですが、本当に美味しいんです。食べると汗もかくし、元気が湧いてくる。また新たなキチムが始まっていて、嬉しいですね」

縁やつながりを育てながらも、初めてのことにも果敢にチャレンジ。そのメリハリは、原田さんの中に大人と子どもが仲良く同居しているよう。そんな風にクラムボンや原田さんの音楽を聴くと、また違った感じ方になるかもしれない。

ライター:栃尾 江美(とちお えみ)
カメラマン:上澤 友香(うえさわ ゆか)

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